ロードパルは1976年の発売。
ソフィアローレンの「ラッタッタ」の広告はTVでもずいぶん流されていた。
カタログは真四角の初期ものらしいやつが手に入った。
これが70年代の2輪「タレントキャラクター広告」のハシリではなかったっけ。
翌年からヤマハパッソルの八千草薫やスズキユーディーミニの森昌子が広告に使われる。
僕はパルディンやパルホリディには乗ったことがあるのですが、ロードパルについては思い出せない。「ギショッギショッ、ブルルン」ってゼンマイでエンジンがかかるあの感じを覚えているのですが、いつどこでっていわれるともう闇の底。
ギショッギショッ、ブルルンはパルホリディだったかな。
パルホリデーとFちゃんの物語
友人Yさんと同棲していたFちゃんは18歳だった。
アパレル業界を目指し昼は洋裁系の専門学校で学び、夜はキャバレーで深夜キチキチまで働いていた。
通勤通学用にパルホリディを買って毎日京浜急行駅までの急坂を通っていた。
※決して貧乏暮らしではない。クルマにバイク2台、Yさんは当時羨望の的のマーチンとフェンダーを持ち理想的なオーディオシステムに一軒家。
内情は別として(傍目には)物質的にも羨ましい生活を送っていた。
ある日(おそらく酔っぱらってなのだろう)彼女は駅からの帰り道、単独で転倒して病院に運ばれた。
その入院中、外科病棟の病室に毎日のように運ばれる患者が、次から次へと亡くなっていくのを見て(若いくせに)人生を悟った。
退院するや否や即インドへ出発。そのままバックパッカーになった。
なぜだろう。
日本の女の人は海外暮らしが長くなると、その分かなり気が強くなる。
Fちゃんも数十年後再会したときは別人のように貫禄がつき、生命力の強そうな海外仕様のオバサンになっていた。
ちょうど上海のアパレル系の工場勤務から一時帰国したときで、百人町でインドネシア料理を食べながら「知ってる?中華料理ってのは香港や台湾の料理を言うの。中国のは、あれ『中華人民共和国料理』っていう別もんなのよ」
そういう彼女こそどう見ても大陸系の外観に進化していた。
工場で製品チェックを担当(仕切っていた)していた彼女に「あんた向こうでは陰で『××鬼子』と呼ばれてたろ?」というと、
「何で分かったの?」と言った。
ホンダの「モキット」第一弾だそうです。
ロードパルのカタログは3種。もっと種類はあるだろうがカタログ蒐集は「出会い」だ。あえて探したりしない。
いちばん上の四角いのがいちばんで内容も写真も充実。
そういえばソフィアローレンもとっくに80歳オーバーなんだ。