ホンダ1969年総合カタログがまさに好みだったので、1968年版を探しておりました。
イラストで描かれたのはまさに「アメリカの夢」。
これは同時にノーマンメイラーが描いた小説タイトルでもあります。
富と狂気、精神の崩壊、社会システムの不条理をちりばめた1964年の作品なのですが、豊かさをその弊害ごと手に入れたアメリカ。
巨大すぎる現実に対しては僕は安易に批判することも、そのすべてを理解するふりもできない。
ここはイラストに描かれた仮想情景を彷徨って夢を見ることだけにしよう。
1969年版と重複するイラストがあるので、それらは端折ります。
CL450とスカイダイビングイラストの図などです。
ハンターカブなどは(これってCT90っていうんでしたっけ)1968と1969でフロント部分が違っています。詳しくないのでそこはさらりと。
1970年代以降、日本も随分豊かになってきた。
僕は1960年前後のまだ日本が貧しかった時代も覚えています。
玩具が主要産業だった時代もその「メードインジャパン」のイメージが悪かったことも貿易収支赤字が続いていた時代も覚えている。日本が水力発電の国だったことも。
50年代60年代は映画・TVスターがちゃんとした「スター」だった。
当時のスターは「庶民性」などをウリにしない。
スターはスターで遠い憧れの対象でなきゃならない存在だった。
大スターの「コンバット」のサンダース軍曹も「ララミー牧場」のジェスも来日したら、真っ先に孤児院に慰問に来た。
小学生の頃、僕は孤児院の子たちの持ってる本人サイン入りのポストカードが羨ましくてたまらなかった。
この豊かなアメリカ。
スコットマッケンジーが唄った希望に溢れたサンフランシスコ。
1968年にはベトナム反戦運動の波、ヒッピーらの精神世界による僕たちの憧れた豊かな物質文化否定の流れが押し寄せる。
新しいムーブメントとその前提となる「豊かなアメリカ」の両方がこの時期この地に同時に存在したのだ。
CB450はクジラタンクとこのCL450がダブって掲載されている。
バイク界の食物連鎖頂点とは言わないまでも、ホンダ2輪のエース格のバイクだったので当時なりの重量車の迫力を感じる。
※こいつのハンドルをコンチかセパハンに変えるとカフェレーサー然となるんですぜ。(下の広告参照)
CB750が出てからは補佐役の副官みたいな立場に甘んじてはいるのですが。
それにしてもスクランブラーの種類の多いことといったら。
160ccと175ccがあるなんて知らなかったです。
いまラインナップを見ると、ホンダの変換期ってことがよく理解できます。
前傾305ccと直立350ccが同居しています。
この2機種の間には僕ら世代に似たすげえおっきな階層の差みたいなものの存在を感じるのですが。なぜか同じ次元に。