(上の画像はメイト?ヤマハニューポート50のカタログ。本文とぜーんぜん関係ないです)
昔の古いバイクが好きな僕ですけど、残念ながら今持っている2台以上は物理的に増やせません。
バイクを何台も持てないのは都会の事情ですが、レンタルガレージ料金ってやつを考えるとこれが10年間で250万円以上。そのまま欲しいバイクが何台も買えちゃう金額だ。たかが一台のバイクにそんなにつぎ込んでいるなんて、ほんと自分でもあきれちゃっています。
(画像はツインジェット100。こいつも本文とは関係ありません)
僕は30年前、「骨董通り」というもっとも落ち着いた地域の小さな二部屋のアパートに住んでいたのですが、その頃は部屋にGR50、玄関にMV125、縁側の外にMV350、庭にCB400FとCB250RS+1台を置いていました。今思うと場所のわりにはもの凄く贅沢なバイクライフです。その後も何度も引っ越ししましたが、住居選びは全てバイク中心。あの当時はどこに引っ越ししてもバイクのことを考えて一階にしか住んだことはなかったです。
(この画像も関係ないです)
一度バイク道楽をあきらめてブランクがあり、再びこの道楽を始めたものですから、何事にも消極的になっちゃいます。
10年ほどバイクを離れていた期間はそれはそれなりに気持ちも楽になり、音楽、旅行と趣味が広がって充実した時期でした。ヘルメットやブーツ、ミニカー、バイク雑誌やポスター等、バイクを連想するものが部屋にあるのが嫌になってかなりの数のものを思い切って捨てちゃいました。(125sは別。これは部屋に置いてある大きなオブジェです)今でもそうですが、なぜかバイク好きに見えない空間のほうが住みやすいです。
カタログハンターですからゲテモノカタログは大好き。中華モンキーも中華ダックスもカタログを集めています。
ニッポンのDSKや赤トンボもWワンもコピーから始まったという事実もあり、中華製バッタモノバイクのなにが悪いかというとこれがどうもうまく言えません。これら中華バイクのパクリとはコピーして何が悪い、楽して儲けてやろうという「打算」しか感じられないから嫌なのですが。
(上が幸福、下がJAWAの250)
同じパクリバイクでも一所懸命高級感と「中華味」を出そうとした幸福号が可愛く見えてきます。「バイクってのはあくまで贅沢し好品なのだ。道具感覚で選ぶものではない。感情的に、じゃない感覚的に選ぶのだ」こう考えるのですが。説得力ないなあ。日本人だからこんな抽象論になってしまうんでしょうかねえ。
TNTのカタログ。
これを見るとパーツ交換等でバージョンアップを楽しむ「おもちゃ感覚」が少しは分かっているなという気がします。