学生の頃、軽井沢でひと夏働いた。
友人Hと一緒に友人Sの働くレストランに遊びに行った事がきっかけだった。
Sは横浜に帰り、逆に僕が仕事で軽井沢に残る事となった。
そのバイト先の店長が乗っていたのがこのミニだった。
モーリスじゃないミニでラジエターグリルがこんな格好をしてるやつ、クーパーじゃなく排気量はもっと小さい。あの衝撃的に小さいシート。フロントガラスがなければ、助手席から手が届きそうな鼻面。このカタログのクルマはこれがやや長く見えるが。
なんというか、70年代ジョンレノンとオノヨーコの散歩していた、当時の軽井沢メインストリートによく似合っていた。薄いグリーンだったっけ。思い出せない、それでもミニはミニ。
こいつがいつも社長の別荘に横付けされていた。
アメリカ帰りのHについて。
サンフランシスコで寿司職人を3年やっていたHはまったく英語が話せない。
「あのさあ、言葉をしゃべるなんて、せいぜいスーパーでの買い物くらいなんだぜ。毎日毎日仕事場とアパートを往復して、休みの日はライブを見に行くくらいのくりかえしだったし、つき合うのは日本人ばかりだし」
彼はグレイトフルデッドの「追っかけ」をするためアメリカに渡ったのだ。
ついでにいうと奴はフィリピン人にタガログ語で道をきかれたり、メキシコ人によく間違えられるほど日本人離れした外見の日本人だった。
そんな風貌のHと軽井沢のあの有名ホテルのティールームでお茶を飲んだ。
支払いは僕がホテルのフロントで旅費のなけなしの1万円札で払った。
その帰り道、Hは僕に言った。
「××(僕の事)知ってたかよ。あのフロントの男。笑いながらカーテンの向こうで札を(本物かどうか)明かりに透かして見てたんだぜ」
「しょうがねえよ。俺たち風采が悪いからな。」
老舗のホテルマンマインドなんてきれいごと伝説は信じちゃいけない。
唯一の問題は男が行動を「僕らに見られた事」なのだ。
その時ホテルの正面で記念に撮った写真が今もある。
今みると、なるほど怪しい2人組だったもの。
友人Sは当時付き合っていた彼女と一緒にレストランで働いていた。
Hと一緒に訪ねていった時、すでに別れが決定的になっていた。
Hは先に辻堂に帰り、Sもある夜、軽井沢で唯一のロック喫茶でオーティスラッシュを聴きながら、「くそぉ、マイナーブルースばっかりじゃねえか」と言いながら目を腫らし翌々日に帰っていった。
一方僕はジーパン屋にバイトを見つけ、ひと夏働く事になる。
元印刷屋の社長とその愛人が経営する店で背の高い遊び人の店長、暗い女性従業員がいた。宿泊は社長の別荘だったが、僕は友人Sが去った後もレストラン従業員の宿舎に泊まりにいっていた。
店長はよくこのミニに僕をのっけて遊びに連れて行ってくれた。
やがてそのサボり癖のせいか店長はクビになって、新宿に帰っていった。
9月、ミニのいない軽井沢はもう寒かった。
ベレンコ中尉がミグ25に乗って来日した頃、その流行遅れのジーパン屋は店を畳んだ。
話は変わります。
横須賀に住んでいるタクシー運転手Uがメイフェアのミニを持っていた。
彼がクルマを買い替える時、僕に言った。「あんたミニ欲しがっていたけどこれ、いるか?」軽井沢のミニとはいろいろ違うのだけど、とりあえずはメイフェアだってミニはミニ。
今でも後悔している。あん時貰っとけばよかった。
いまどきのミニはデブすぎるし好みじゃない。
もう一つ
友人Hはダイハツのミラジーノに乗っていた。
ワゴンRを買う前にこれを知って、密かに狙っていた。色は青?そいつぁいいじゃねえか。なんかミニに似ているからだ。
奴の家に遊びに行って、迎えにきたミラジーノを見てがっかり。なんと後期型じゃあないか。(ミニはミニでも新しいミニに似てるやつだった)
オリジナルミニ風のミラジーノ改がある事は知っていた。
軽自動車登録のできる本物改造ミニがある事も知っている。
縁がなかったって事ですねえ。
※最後に
このカタログはどうも復刻版だと思う。
程度がよすぎるし、2穴ファイルの跡らしきものも写っているからです。