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Channel: バイクのカタログハンター日記
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ツートンカラータンク「エクスポート」も「ドリーム」も付かないけど

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CB175(1970年2月に登場)
ハイウェイもオッケーの175cc。馬力は20馬力。そこそこ走ります。といってももちろん乗ったことはない。
見栄も恥もメンツもなくなった現在のおっさんだけに訴えかける175という数字の魔力。当然、当時はぜーんぜん興味を持たなかった。
125→135→175と1万円プラス分だけ高くなり、175に2万円ちょいを足せばCB250様が手に入るという時代。そりゃ仕方ないです。

おっと、これは去年も書いたか……。

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こっちの表紙も相変わらず高速走るぞアピールいっぱいの機能性重視型。インターチェンジの写真を使った前モデルカタログに対し、こちらの中面(表裏)ではサービスエリアが使われています。
高速2人乗りができない時代ですから、2人2台体制なんですよ。
表紙には一台しか見えませんが。

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流れる高速走行のクルマの光を駐車場から捉えるという、なかなか粋な設定。
マイナーチェンジ後の175。当時のホンダは上位機種とデザインの類似性があります。相変わらず250/350のエクスポートのパッと見要素満載です。

ベンリイでもドリームでもない「成りきれなさ」が中間管理職の偉大な存在意義を感じさせてくれます。
って何を言ってるんだか。

(次回3日はホンダオフロードです)

道なき道を、走れホンダ

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ホンダのオフロード系カタログが手元に何冊かあって、年代も、系列もばらばらだけど。
えーいまとめて、どーん。
こいつはCTX-200。オーストラリアの羊飼いバイク、らしい。
ハンターカブを思い出す「CT」、1980年以降のオフ車っぽい200ccという排気量、大げさなプロテクター。印刷はオーストラリアなのになんていったら失礼か。しかし。
写真もレイアウトもなかなか奇麗。文字だけ活版っぽい伝統的な古くささ。
といってもこれはこれでなかなかサマになる不思議さ。

このカタログ自分では結構気にいっております。

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SL350
ホンダCLの後にオフロードに特化した形をめざすSL-350。
1970年の登場。このカタログはもっと後期型だろう。
タンクにはCB350Fっぽさがある。
間違っていたらご免なさいですけど、SLってフロントフェンダーがアップマウントされた最初のホンダバイクだったはず。
XLの初期モデルに進化する寸前のSLはまるで羽根の生えた小さい恐竜のように鳥とどっちつかずのような存在だったが、こいつはまだまだCLの進化形。

実車に関して、いやオフ車に関してはさらに無知で、乗ったことすらないのに無責任にこんなに断言していいのだろうか。
いいのです。
僕はカタログコレクターなのですから。

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1984年ホンダプロリンクサスカタログドイツ版。
赤フレーム、赤タンク。競技用イメージの強くなった頃のマシン群。
いまだに「ホンダのオフ車」といえばここらあたりのラインナップを連想します。もはや30年以上前のモデルだというのに。

2スト200ccが出てきたのもこの頃ですか。
年寄りの思い出話ですけどこの頃の中古車、オフ車であるXLはとくに安かったです。本当に。

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1985ホンダ2ストローク50/80
これもドイツ版。モンキー以外はぜーんぶモノサス。
税金の関係か、50ccはMTXもMBXも3.0となんとも低馬力。80になると一気にこれが9.5馬力に跳ね上がる。
おっと、失敗った。
オフロードイメージなのは表紙だけだったか。

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ヤマハオフロードシリーズ

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なんともキッチュなカタログ。
これでPrinted in Japanだそうです。
いや嫌いじゃありませんとも。同時代の格調高いカタログは沢山知っている僕ですけど、この印刷物がヤマハ純正とは思えないだけです。欧州っぽい、かなり古くさい色遣い、DT/TY/XTの縁取りロゴ。紙質。

フランス語版でアムステルダムの欧州拠点が発行元です。

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DTは250と400だけに小さくmx の文字。フェンダーの位置やタイヤがそれぞれ異なる2種類のDT125とDT125Eがある。
唯一4ストのXT500のエンジンプロテクターがごつくていい感じです。

ちょうどタイミングよくDT125とDT125mxのカタログを手に入れた。
125のほうは上のカタログとおそらく同時代。
125mx のほうは、このカタログは以前も紹介したが販売店のスタンプも押されてなく、前回のものより程度はいい。

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空冷2気筒。ヤマハ70年代最後の125cc

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モトベカンD55を思わせるスタイル。
モトベカンにペダルさえ付いてなきゃなあ、と思う。同様にRDはハンドルさえセパレートだったら、いやもう少し低かったらと思う。

これが↓モトベカン
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中型の教習で僕は最初にRD125に乗った。乗りやすかった。
教習中クラッシュしてくの字に曲がったRD125も見た。


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RD125とRD200
この125にはボアアップ版の200があった。
これは僕の持ってるものではないがそのカタログ。
RZっぽいラインと20馬力パワーが魅力。タンクグラフィックのせいでこっちはモトベカンよりベネリの125を連想する。そんな気がしたのだが……。

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これがベネリ124。実際較べると全然似てない。
RZ風のタンクグラフィックはこの頃の流行だったんだな。
125ccの4スト2気筒。ベネリにはこれとは別に2ストツインもあった。

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2003年ホンダキャメルレーシングのプレスキット。

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CDの中身は画像集らしい。
これはフランス人のコレクターから手に入れた。
宇川と、ここではマックスピアッジがエースだ。
彼はアプリリアの250で鈴鹿の最終コーナーで勝負かけた姿が印象的だった。
ここ一発であの凄い力を出す集中力が凄い。
それにしても某雑誌では「無謀だ」のひと言だったが。

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500GPの動画がやっと観られるようになったのは1982年頃。
もちろんテレビやパソコンではなくて、一部の店で売ってる高けぇ販売ビデオソフト。バリーシーンやルッキネリの走りはこれで知った。
ケニーロバーツ対Fスペンサーの時代になっても、雑誌記事などで詳細を知る事のほうが多かった。
テレビ番組でリアルタイムで取り上げられるようになったのはそのあと。
実物を見たのは鈴鹿のGPや富士スーパースプリントでのマモラ、レイニー、シュワンツ、ガードナー、ドーハン。そして8耐でケニーロバーツ。残念ながらスペンサーには何度もすっぽかされ、ようやく見たのはヤマハのウエアを着た彼だった。

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とくに誰のファンって訳ではなかったが、それぞれの走りを覚えている。
いや僕が好きだったのは250のピアッジとコシンスキー。常にメディアからよく言われない彼ら。レーサーに求められるのは速さで、礼儀正しさやら「いい人度」なんて必要ないでしょうとこの時の僕は思っていた。

現在は当時と全く違う。
最近「ヒッティング・ジ・エイペックス」というモトGPの映画を見た。
へえ、今はこんな感じなんだ。スペイン人ライダーを中心にヨーロッパ勢全盛のレース状況下ではみんな言いたい事ははっきり言う。態度に出す。自己主張も言動もすべてオープン。
直接ぶつかり合い、コーナーで肘や肩を擦る走りの中で命をはる連中ならではの言動をとめる者はだれ一人いない。

ヤマハの4スト「XS」シリーズカタログ1977

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カタログを開けると両観音扉。こんな感じです。いい写真でしょう。
ガレージに貼られたYZR700/OW69のポスターが時代っぽくていい感じです。ヤマハのこの時期の主人公はやはりXS750の3気筒なんでしょうか。

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見覚えのあるこのキッチュ感。
以前アップしたオフロード版カタログに対して、これはロード版のラインナップカタログです。表紙は反対側まで回り込んでいて全体の景色が見回せます。
開くとこんな感じです。

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角タンクのGX500(ここではキャストホイールのXS500)は国内だと1種類しかカタログがありませんが、ロングセラーだった海外向けは6~7種類あります。発売期間も長いようです。
好きなバイクですがカタログ集めは諦めました。

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XT500が蝙蝠のようにロード、オフロード両方に登場しています。1976に登場して、78年にはSR400/500に進化しました。
調べると70年代のXTはこの500だけ。400も250もテネレも80年代以降でした。

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XS360も250もサイドカバーの排気量表示以外同じに見えます。いや、リヤウインカーの取り付けとナンバープレートが違う。これってどなたかからか聞いたことだったでしょうか。
僕は最近は他人の手柄を自分のモノにするってことも多くて。
まっいいか。これも愛嬌愛嬌。360ccが何か引っ掛るのに気がついた。
そうだ。国内仕様はGXという名で400ccだった。

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500もナナハンもTXがなくなり、国内では唯一GXにならなかったTX650が、ここではXSの名前で出ています。
アメリカンタイプ(LTD)になってもいないのに。

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GX750の3気筒、ここではXSですが、初期がマフラー1本出し、後期が2本出しで馬力が60→67と聞いていた。左を向いてマフラーが見える輸出仕様のこいつは65馬力表示。

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このカタログは広げれば16ページの一枚の紙。
一番上のイメージ写真を開くと、左右にナナハンと650が現れ、さらに天地を開くとXSとXTの500~250が現れる仕組み。
一枚に広げるとこういう感じです。

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今回はご紹介するのはこの1册です。他のXSカタログは次回です。
「小出しにする」という悪知恵がつきました。

ヤマハの4スト「XS」後編。単品カタログ

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最近入手したXSのカタログです。
XS500。GXの海外仕様でキャストホイール、車重が2kg程重くなった分パワーが1馬力アップ。何種類か存在するタンクグラフィックの中で比較的珍しいシンプルな下部囲みケイ帯。表紙の黒だけは帯無しで金のヤマハロゴ。僕はこっちの方が好みです。これはGXの国内仕様と同じです。

「またポルシェかよ」って言いたくなる表紙写真です。国内撮影にも見えるし、勝手に高速道路のサービスエリアのパーキングと思い込んでいました。
海外の場合普通のお金持ちの家のガレージといっても充分あり得そうです。

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XS500とXS650
やや前傾高回転型8バルブDOHCと伝統的直立OHCツイン。
最高速度はともに180km/h。速さは互角だけど、性格はかなり違います。

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XS650。XS-1からTXタイプとなってさらに渋さがましてきました。
ヨーロッパではもとからかなり人気はあったようです、昔カタログをやり取りしていたドイツ人カタログコレクターも3台以上所有してました。彼はヤマハカタログをかなり持っていて、海外向けだけではなくRX350/250の日本語の国内向けカタログは僕よりたくさん持ってるくらいでした。
しかしどうやって集めたかは謎でした。

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3気筒XS750。2本マフラーの後期型。
エンジン/サイドカバー。裏表ともどちらも表紙みたいです。
前期型か後期型かというのは左側のマフラーの有無で判断するのですが、バイクが右を向いている場合、シートカウル下部にアールがあるか、スパッと切れているかでも判断できます。

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ホンダ4気筒フォーインワン最後のひと咲き

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CB400/500F最終型北米仕様。1977年カナダで印刷された。
特徴的なのは蓋付きガソリンコック。このタイプは国内では販売されていない。タンクがワインレッドにゴールドの縁どりでそれまでのスポーティさから一転して格調高く仕上がっています。
CB400Fの方は国内とは違い408ccのままアップハンドル化。CB550についてはこの時期は4本マフラータイプKのみが国内で発売された。 

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400/500同様の渋い格調高きテイスト、1977年CB750集合マフラー最後のモデル。トリプルディスクブレーキに加え史上初のコムスターホイール装備。
最後の集合マフラーモデルは1977年の国内では750ccだけが発売される。

新装備も加わってこのカタログはこの機種にかなり力が入っているのが分かる。しかし表紙がなんとも残念……。ブルーの帯に陳腐なコピー。

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サインはブイブイ、水冷ブイ。ホンダGL400/500

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GL1000(ゴールドウイング)の廉価版 ?
そんな訳はない。このGLだって充分高級バイクだったもの。
水冷V型2気筒。重い、デカい、シャフトドライブでエンジンブロックもデカいし安定感を固めた走行性能。
こいつを最近はカフェレーサーっぽく改造するのがヨーッロッパで流行ってるらしい。ふーん。

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裏面のGLの真横からの写真。全体が多少上を向きすぎてるな、フロントフォークを短くしてフレームを水平にしたら格好いいんじゃないかと想像したりもする。

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写真のせいじゃないがアメリカンモデルのGLカスタム(CX400/500C)のほうが水平なんじゃないかととも思ってしまう。下はフランス語版CX400C(カスタム)。サイドカバーにはCX400とだけ記されている。

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オーストリア版らしきホンダカタログのCX500(こちらはCustomの文字がサイドカバーに)

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GJにはヨーロピアンのCXユーロ、500と650のプラスターボがある。
国内ではあまり見ることがなかったが、いま見るとなかなか格好良く感じるスタイルです。

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ブーム最盛期。ホンダ1981年ラインアップ。

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ホンダ1981年ラインアップ。
80年代前半のホンダ総合カタログの年代はCB1100Rがあれば特定できる。
CB1100Rは1年ごとの3種類、型式名がそれぞれB、C、D。容易に外見で判断できるからです。このカタログの場合、もっとも分かりやすいCB1100RBですから1981年だと分かります。

表紙で大々的に扱っている耐久レースとモトクロス500ccの優勝。
それぞれFontan MoineauとMalherbeについては詳しくない。
fontan / moineau はおそらくルマン24時間か耐久選手権のマークフォンタンとエルブモアノー。RCBが無敵だった頃の最後。
フォンタンの特徴的なアンシンメトリーの目玉ヘルメットはよく覚えている。昔鈴鹿8耐の時の写真で見た事があります。

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こうして見ると意外にアメリカンモデルも人気なこと、400ccと500cc両方が併売されていることに驚きました。CMやCX、XLなど400ccが日本専用ってわけじゃなかったのですね。

1981年は大きな転換期でした。ぱっと見海外向けにも見える下のチラシにはシルクロードがあってCBX400がない。シルクロードは3月、CBXは11月の発表だからその中間期ということが分かる。こっちの表紙は耐久レーサーではなくて、Fスペンサーと片山選手。メットが違うけどナンバー8番もスペンサーかな。ツナギの背中に「SPE」まで読める。

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1981年第24回モーターショー。同じ1981年でも82年モデルが出揃うモーターショー(10月末)に配布されたカタログはラインナップががらっと違う。
CB1100Rも1982年型のRCになり、新たに81年に発売となるCBX400Fやスーパーホーク、CX500ターボやモトコンポも加わる。
表紙のライダーはDアルダナ 1981年ボルドール優勝。

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400の教習車。今だったら楽しそうなんだけど。

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知らなかった。
今の教習車って、現在もこの車両かどうかは分からないのですが、意外に格好いいじゃありませんか。
集合マフラーにスタイルを損ねないエンジンガード、2本リヤサスにホイールまで黒ずくめの下半身。前後上下4つずつのインジケーションランプが邪魔ですが、それでも随分コンパクトにまとまってるじゃないですか。

すでに見栄をはらない世代になった僕ですから、このまんまでツーリングに行けます。

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でも、です。

実は教習車カタログはよく出回っています。入手も簡単です。
ナナハンなどの教習車もいつもならすぐ入手することを考えるのですが、なぜか気が進みません。
やっぱりなあ。限定解除がなかなかできなかった恨みのせいで教習車にあまり興味持たないのかははっきりとは分かりませんが。

さてこいつは一度紹介しましたっけ。
ホークとCB125の教習車。

まさしくこれぞ僕の時代の教習車です。

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CB750F2とホンダエアラ

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この750Four-ⅡのカタログでCB750のOHC空冷がほぼ揃った。
あとたった1冊あればおそらく完成。その足りないカタログはなんだと思いますか?
エアラです。
オートマチックのエアラカタログにはブルーの帯に「新2輪世紀」のコピーがついています。2種類あって、「EARA」のエンブレムのものとグリーンの光のもの。どちらも表紙で何が言いたいかわけが分からない、
とにかくグリーンの光の表紙カタログが手に入ったら「ビンゴっ!!」です。

Four-Ⅱカタログに戻ります。

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OHCの集合管モデルデビューカタログです。
ホイールはまだコムスターではありませんし、フロントのブレーキも片方だけ。ごくシンプルな銀の背景に文字だけの表紙。特色5色刷り。これ以降からホンダは青い帯に凝りだして、750、550、400、125とカタログ表紙が軽薄になっていきます。

エアラではこの軽薄な表紙とアンバランスな中ページの格調高さに圧倒されます。ページ毎の画像ではよく分かりませんが、実際には左右の見開き写真が連続して、迫力ある構成になっています。
ちなみに入手していないもう一種類のカタログはオーディオなどを使ったマニアックなないようだった気がします。

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ロサンゼルスがいつの間にかLAと呼ばれるようになった。

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殆ど人に知られず、存在感が薄いバイクのカタログをたくさん持っています。
というより実際は僕の持ってるカタログの大半はそんなのばっかり、ほとんどバイク好きが興味を持たない類いのものです。
CB250TのLAカスタム。「カスタム」はホンダの当時のアメリカンタイプの呼称。LAカスタムはLCとも略される。
タンクが奇麗な青と銀で飾られた一連の豪華版シリーズだが、われわれは「鯖バイク」と呼んでいた。ホンダの鯖シリーズは4気筒のCB650LCを筆頭にツインの400LCとこの250LCの3種類。実際はもっとあったかもしれない。
650LC4気筒はいま思えばそれなりに豪華で魅力的な「固まり」だった。なのにツインの最も廉価版経済バイクに同じようなタンクグラフィックを与える。
技術者集団のホンダは時々こういうことをする。

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ルーツは1981年に登場した250T。経済性と乗りやすさを強調したバイクで「価格は30万円を切る、低燃費、シート高は730mm」というのが売りだった。

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僕がいつも資料として使っているオートバイ誌付録のデータブックでは「空冷4ストOHC2バルブ並列4気筒」と堂々書いてある。不人気バイクだったんでこの誤植に気づく人はおそらく殆どいない。250TLAは30万を超えた。このあとマスターSDではベルトドライブ化する。
その後233ccのシングルキャブOHCエンジンはレブルとかナイトホーク250にのせられる。

ホークはホンダだから売れた。そう思っていた。

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ホンダホークのイメージに使われたこの鳥はオオタカですかい?
現代は都会のビル街でも鷹を見かけることがあるらしい。
僕は昔新横浜のガード下を歩いていて、けたたましく啼いて集団で飛び去る野鳥の群れとそれを低空飛行で追いかける一羽の鷹を目撃したことがある。ほんの一瞬だった。ちょうどこの写真のような小さな鷹の横顔。ハヤブサだったかもしれない、が確認できたのだ。
最近も目黒の駅近くのマンションに住んでいた友人は庭に(9階に大きな庭がついている)雀の餌場を作っていた。ある日カーテン越しに小型の鷹のシルエットを見、飛び立ったその直後散乱した雀の羽毛を見た。

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ホークⅡのカタログは今はまだ集めていない。
国内物カタログだったら普通どのくらいの種類があるのかが分かるのだが、これだけは難敵。ホーク自身に興味をもたなかったせいもある。
オオタカをあしらったカタログを400や250も含めこれでもかというくらいの数量を見せつけられて、まったく手が出なかった。
チラシも合わせると楽に12種類は超えるのでは。

昔バイト仲間の兄ちゃん3人がZ650、GX750、ホークⅡの3台でツーリングに行く後ろ姿を指をくわえて見ていた。ホークⅡの人だけが当時出来たばっかりの中免だったと思う。
原付免許の僕はバンバン50に跨がったままそれを見送った。

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OHCショートストロークツイン3バルブ、ホーク250ccはボアだけじゃなくストロークも小さく10000回転まで回る。ミドル級主力車種に、もはや4気筒は要らない。性能的にツインで充分というホンダの自信作だったが、格好が受けなかったか初期のものは評判があまりよくなかった。

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ホークⅡの茶色くて丸いタンクは鷹の頭のイメージを模したようだ。そうそう「ヤカンタンク」といわれたあれです。これがけっして孤高のオオタカやハヤブサのような尖った印象にならず、ハリスホークのように乗り手に忠実な印象を与える。ハリスホークという鳥は単独行動をとらず、複数のチームワークで行動する鷹で、それゆえ人にも慣れやすいとも聞きます。

当初コムスターホイールは400ccだけ、250ccはスポークだけだった。タンクがやや角張った後期型以降は250もコムスターになった。

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ホンダマチック、ノークラのモデルも出た。
実際には見たことがなかった。
ノークラなのに左のレバーはなんなんだろう。いまならスクーターの免許で乗れるらしい。想像つかないけどいまスクーターの免許で充分って人いるのかな。

いやいるだろうな。


デザイン自由なオフロード車。値段が高かった。

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神奈川のある新設校のまだ若い高校教師××さんはR&Pを即金で買った。友人たちのバイクに乗る姿にいきなり影響されたからでした。
彼は免許は持っていたのに、長いことバイクには乗っていなかった。
だから再スタートが原付。
R&Pは50ccとはいえ値段はかなりするものだった。1977年、12万8000円。1981年にはなんと14万5000円。

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その××さんはある日、TX650が信号待ちでせこく前に出ようとはせず、クルマの後でアイドリングする姿を見その姿に惚れ込んだ。
僕らにそのことを熱く語った先生はR&Pのアイボリータンクはそのままにして売っとばし、TXを買った。

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R&Pの思い出話はこれだけです。
これといった特徴がなく、印象も薄いバイクなのになぜか価格が高かったこと、なんとなく現代のホンダエイブのルーツのような気がすること。
それだけです。昔の思い出話にもまず登場しない。忘れられた同級生のような存在でした。
自由にデザインできるよう、のっぺらぼうなタンク。それより、たったそれだけが「ウリ」という存在は悲しい。
よく見るとバルーンタイヤ風。スズキバンバンへの対抗なのかもしれない。

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SR500はもういない。それより SR400がいることがありがたい。

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周囲に一人くらいはSRに乗っていた人がいたはずです。
僕は偉大なるSRのカタログは集めていません。
このカタログにどれくらい種類、バリエーションがあるのかもまったく分かっていません。困ったことに魅力的な表紙もかなりあるのです。しかしコレクションを始めるにはもう手遅れです。
そこで初期型シート、キャストホイールモデル、ドラムブレーキモデル、記念モデルと要所要所のカタログだけ押さえていこうと考えました。
最近ではありません。たったいま、思いつきました。

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SRのカタログは手元に数枚しか残されていません。
海外版は1種類しか持っていません。自分でも気に入ってるカタログです。タンクもメカもシルエットも美しい。これぞまさに出会いです。
これからも一期一会でカタログを集めます。

「一期一会」の使い方これでいいかな。

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SRといえばモトライダー誌と島英彦氏のロードボンバーの話を思い出す人がいるかもしれません。
僕が鈴鹿8耐を最初に見たのはケニーロバーツ登場の1985年ですから、見たはずはないのに、走っている姿を見たことがあるかのような記憶があります。
自分の記憶をねじ曲げられる程、それだけ何度もくりかえし語られた伝説なのでしょう。

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SRはクラシックなイメージで語られることが多いですが、1978年にディスクブレーキ付きで当時の標準的なバイクとして登場しました。
当初はスペック的にも不人気。
それが麻布ブルックランズなどで英国旧車ファンがストレス解消のためにSRに改造を施した「普段乗るためのなんちゃって英国車」が一つのブームを作った。流行りの改造も時代とともに姿を変え、ロングセラーになったおかげでいつのまにか本当のクラシックバイクととして語られるようになりました。

ボビィ。2ストのダックス。

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ボビィとボビー
今ボビーといったらボビーオロゴンだけになっちまった
昔はいっぱいボビーというアイドルがいたんです。
まさにボビーだらけ。「ミスターロンリー」のボビーヴィントン、R&Rのボビーライデル、「頬にかかる涙」のボビーソロ。歌手も曲のタイトルにも多かった。「ボビーに首ったけ」というのは片岡義男の小説タイトルだが、同名のボビーに首ったけ(原題Bobby'girl)というアメリカの女性歌手の曲が浮かぶ。
この曲が流行った時代は知らないのに、なぜか曲は知っている。昔のヒット曲はどれも一曲一曲が超超超ロングセラーだったからだ。

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格好はちょっとだけオシャレですが、どう見ても真似じゃん。
ヤマハ好きはこれを見るたびにいやな気持ちになっていた。
何もダックスのカタチを真似するこたぁないだろうって思いました。
カブのコピーならまだしも、ダックスです、ダックス。
僕は今どきのプジョーやピアジオのような前2輪スクーターも嫌だった。

一方常に真似をされる立場のホンダがCB400SSを出したとき、友人のホンダ好きがぷんぷん怒っていた。「そこまでSRが気になるのか」と。
これもはっきり覚えている。

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ジャンルが違う話だがヤマハがストラトキャスターを出した時、嘆いた友人がいた。日本楽器はあれだけオリジナルデザインギターにこだわっていたのに。
その男はギターおたくでダンエレクトロという比較的マイナーなEギターを持っていて、忌野清志郎に貸していた時期もあったそうだが、いまはもうバネ指でギターが弾けなくなってしまったと僕に言った。

ツートーンカラーの丸顔。なかなか愛嬌があるじゃないか。

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丸っこいタンクに独特の2トーンカラー。さらに独特な造形の4発マフラーエンド。500ccに珍しい4気筒。それがこのバイクの魅力の全てだった。
当時CB750のカタログ広告コピーでは「乗りやすい重量車」から一転「それなりの人間でないと乗って欲しくない」「乗り手を選ぶ」などの脅し文句が並べられた。これに対し500ccはナナハンクラスという権威に躊躇した層がターゲットになった。
だからといって500ccは簡単にカジュアルに乗れるのかというとそうじゃない。国内ではどの広告も格調は高く、敷居も高いまさに「趣味人の道楽」路線だ。500だからといってナナハンより250cc分、5万円分格が落ちるという訳ではないと言いたいらしい。

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ところが海外版だとカタログも思いっきりカジュアル。大平原をセーターで、街中を軽装で軽く乗りこなすといった写真。
この初期型カタログはイタリア語版とフランス語版6ページ。
イタリア版は本文はイタリア語なのに見出しだけが英語(っぽい)
スペックではイタリア語版に馬力表示はなし。
フランス語版では日本と同じ48馬力9000回転となっている。

下の小さいカタログではこれが50馬力。あれっ?国内版で50馬力になったのは550ccになってからだったんじゃ。
分からん。謎だ。

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SX200/125 冒険天国はいい。ビブラムソールってなんだ?

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スズキの、ましてや4ストオフ車です。こいつは。
意味不明の「冒険天国であります」に続いて
オフ車に無知な僕に喧嘩を売ってるような本文コピーで始まります。

「ビブラムソールのシューズのようなバイクだ」
なっなんだって?
ビブラムソールってなんだ?ひょっとして、それ知らないのは僕だけか。

※当然調べました。アウトドアのソール専門のメーカーで登山靴など用に単体で靴底だけ提供しているソール専門メーカーらしい。
知名度はどのくらいなんだろう。雑知識のこういう部分に関してのみ負けず嫌いになる自分としてはいちばん気になる所だ。

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ちゃんとまとまっているいいカタログです。
SX自身も青と白でカタチがそこそこ美しい。
もしもですよ。この時代にオフ車が欲しいと思いついたら。今ならもちろんSXを選ぶ。性格的にもXLやXT、KLじゃない。
ただしそれはあくまで仮定の話。あの時代自分がオフ車を欲しがる理由は全くなかった。それは本当だ。

しかも「もしも~」なんて仮定の話だったら無責任にいくらでも言える。

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ビブラムソールが気になって調べると差し替えするのに単品で1万円近くするようだ。RZを買って、ニコバッカーフレームを組み込むようなものだな。

このシューズ底に惚れ込んで毎回何足も買い替えるなんて人がいったいいるのだろうか。
もちろんいるだろうな。

ビモータっていうものは横からじゃない、斜め上から見るものです

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ビモータの一体型タンクシートモデル。
HB-2、KB-3、SB-4。僕はちょうどこの時代にカタログを集め始めた。
しかしすでにビモータはどれも同じような外装でいやになったです。KB-1やSB-2カタログはすでに手に入らなくなった。
せっかくビモータ本社から送ってもらったカタログもヤフオクで安価に売ってしまったのもこの当時の一体型タンクシートのカタチが好きじゃなかったからでした。

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今でも不人気なのか、再び手に入れようとした時これらカタログはどれも安価で簡単に手に入った。
このバイク群を自然体に上から見下ろせば、独創的なフレームは見えないにしてもシルエットはあくまで低く、美しく、カタログ表紙のようなナメクジのようなのっぺりさはない。
あくまで上から見る限りでは。

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KB-2はこれらと似たようなシルエットだがまだシートは独立している。
KB-1はどちらかといえば上向きのヘッドライトだったのに、2と3はやや俯き加減でヒタイが出てるような顔。大きな違いは前に向かって尖ったアンダーカウルの有無。整備性の面からかHB-2、KB-3、SB-4の3種では切り取られている。

下のSB-4カタログにもバリエーションがある。
裏面のスペックにイタリア語/英語の2種類が並んでいる。もう一枚はイタリア語/フランス語となっている。
ビモータのカタログは英語版とイタリア語版の2種類というのが多いのだが、イタリア語/フランス語というのは珍しい。表紙にはビモータマークのマルCマークの有無という違いもある。

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SB-4の一つ前には、超前衛的な美しさを誇るSB-2を手に入れやすくカタチを変えて売り出したというSB-3がある。同じ一体型のタンクシートながらSB-4と較べるとどこから見ても美しく、カタログの種類は多い。スズキが一枚噛んでいるのかスズキの欧州版総合カタログにも掲載されている。
いちばん気になることはエンジン単体をスズキが提供していたかどうかだがこれはまだ分からない。カタログには英語版とイタリア語版があった。

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ところで「ま」さん。元気ですか?

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